立憲民主党

世田谷区議会議員 中村コータロー 「これ以上、区民を欺く政治はいらない。」

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お前じゃなくて、泣きたいのは、普通は俺だろ」

帰り路の車の中で涙ぐむ運転手の頭を、そう言ってなでてくれた手塚さんの手の温かさは、絶対に忘れることが出来ない。

2005年9月11日、4年前の落選直後の出来事だ。

あれから区議会議員になり、2人の子どもが出来て、個人としての環境は大きく変わったし、事務所スタッフもほとんどが入れ替わったけど、あの時に置き忘れてきた結果を取り戻すため、今回の選挙戦もまたファンカーゴの運転席に身体をうずめた。

12日間の秘書復帰は、不本意ながら随行技術の衰えを感じる戦いだった。

なんせ目黒区の道が若干うろ覚えになっているし、20kg減の手塚さんが好むコーヒーは無糖か微糖か分からない。4年の経過を長くも短くも感じながらの選挙戦だった。

しかし、久々に濃密な時間を過ごした特別な立場として、歴史的責任をしっかり果たすべく、この戦いにおける一端を「秘書日記」ファンにお伝えしなければいけない。

まず、2003年から挑戦している選挙カーを使わない選挙戦。マイクを握って街に出るということは、太陽が照れば極端に体力を奪わ れ、雨が降れば即刻中止を余儀なくされる。それでもリスクを背負って住宅街をひた歩く手塚さんは、東京5区から、そして日本から、選挙カーをなくす未来に 向けて足を前に出していたんだと思う。

その信念の挑戦は正しさが証明された。

さらに、毎朝の駅頭演説が終わってからの選対ミーティング。連日の各種報道や世論調査データに緩むことなく、むしろスタッフが提案 する街宣日程をよりタイトに、より厳しく修正し実践していく手塚さんは、政権交代の可能性を強く感じたからこそ出来るだけ多くの有権者の声を聞きたかった んだと思う。

妥協のない姿勢がとてつもない得票につながった。

そして、前回選挙との最大の違いはやっぱり応援団の数だろう。支持者も増えたし学生スタッフも増えたし、何といっても目黒・世田谷の民主党議員数が増えた。票をまとめて持ってくる前時代的関係ではなく、老いも若きも赤ポロシャツで走り回った。

行く先々で赤ポロ秘書が待っていて、手塚さんは心強かったと思う。

行く先々で赤ポロ議員がマイクを持って、手塚さんは頼もしかったと思う。

行く先々で赤ポロ学生が汗をかいていて、手塚さんは嬉しかったと思う。

「チーム手塚」は最高だったと胸をはれる選挙になった。

日本は今、大きなスタートラインに立った。立たせてくれたのは国民の皆さん、ここから先は我々民主党の責任。

個人的には4年前の大きな忘れ物をしっかり取り戻すことが出来た。4年前とは違う涙を流すことが出来た。

手塚よしおの17年間、特にこの4年間、お支え頂いた全ての方に心から感謝をするとともに、4年ぶり国会での活躍に、どうぞご期待頂きたいと思います。

ということで、思い残すことなく区議に戻ります。10月の「外野席」でまた会いましょう。